2011年4月4日月曜日

3・11大地震 貞観津波の再来

「1000年間隔で襲う津波 仙台内陸部まで遡上」
 平成21年7月27日付の産経新聞科学面の見出しだった。東北地方の太平洋岸を襲う巨大津波について、東北大と産業技術総合研究センターの研究成果を紹介した。
 東日本大震災で東北地方の太平洋岸に壊滅的な被害をもたらした巨大津波は、869(貞観(じょうがん)11)年の貞観津波に極めて似ている。
 東北大災害制御研究センターの今村文彦教授らは、仙台平野の地質調査の結果から、貞観タイプの津波の再来周期を約千年と推定。前回からすでに1100年が経過していることから、次の巨大津波は「いつ起きてもおかしくない」と、警鐘を鳴らしていた。
 巨大津波で多くの市民が亡くなった仙台市若林区の荒浜地区。そこから5キロほど内陸寄りに小さな神社がある。貞観津波の直後に建てられ、ここまで津波が到達したことを伝える意味で「浪分神社」と名付けられた。
 マグニチュード(M)9・0の超巨大地震と津波は、確かに想定外の規模だ。しかし、研究者は東北地方の太平洋岸を襲った貞観津波の再来を予見し、一定のアナウンスもしていた。平安時代の人たちも、小さな神社を建てて津波被害を後世に伝えていた。
 産経新聞は月に1度、月曜日掲載の科学面を「マンスリーなゐふる」と題し、地震防災を特集している。最新の研究成果や地域の伝承を読者に伝えることで、「一人でも多くの人を、災害から救いたい」という願いを研究者と共有している。
平成11年から14年にかけて、盛岡支局と東北総局(仙台)に3年間勤務した。宮古、釜石、気仙沼、多賀城、名取…。取材で足を運んだ地域が津波に破壊され、多くの命が奪われた。
 紙一重の差で濁流にのまれた人が、どれほどいるだろう。「1000年間隔で襲う津波」の知識が頭の片隅にでもあれば、助かった命もあるのではないか。もっと強く「貞観津波の再来」の切迫性を伝える記事は書けなかったのか…。そう考えると胸が痛む。
 2年前に書いた記事が、無駄だったとは思いたくない。しかし、被災地のあまりにも重い現実に、その思いが押しつぶされそうだ。
 私たちは記事を書くことしかできない。被災地の復旧、復興と並行して、次の巨大地震に備えなければならない。新聞で救える命があることを信じて、これからも地震防災の取材を続ける。

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