2011年11月18日金曜日

複数の原子炉がメルトダウンした福島第一原発が、事故後初めて報道陣の前に公開された。

国際的な尺度で、チェルノブイリ原発事故と並ぶレベル7。日本の原子力開発における史上最悪の事故から8か月がたった。高い放射線が飛び交う中、現場では作業員らの必死の取り組みが続いている。

 東京電力の福島第一原子力発電所では、3月11日の東日本大震災後に敷地内を襲った津波で、全ての交流電源が喪失した。原子炉の冷却機能がなくなり、1~3号機がメルトダウン(炉心溶融)。1、3、4号機で水素爆発が起きてコンクリート製の外壁を吹っとばし、大量の放射性物質を外部に放出した。

 被害が甚大なため、政府と東電は事故収束に向けた工程表を作成。最重要課題は原子炉を100度以下に冷やし、放射性物質の放出を抑える「冷温停止状態」の達成だ。6月には、放射能汚染された大量の水を専用の処理装置で浄化して冷却用にリサイクルする「循環注水冷却」が始まっている。9月末には、原子炉底部の温度も1~3号機全機で100度を切り、現在はさらに約40~70度に下がっている。冷温停止状態は年内に実現する見通しだ。

 こうした中、11月12日に報道陣に事故現場が公開されたが、その範囲は極めて限定された物だった。そもそも取材が認められたのは、新聞社や通信社、テレビ各社の中でもごく一部。東京の内閣記者会加盟の19社、福島県政記者クラブの7社、外国プレス代表ら計36人。フリーランスやネットメディアの記者の取材は認められなかった。その上、敷地内で放射線量が高い場所があることなどを理由に、決められた取材ルートをなぞるだけになったという。

 今回の取材で、事故収束の陣頭指揮を取っている吉田昌郎所長(56)が初めて報道陣の前に姿を現わした。「3月11日から1週間が一番厳しかった。死ぬかと思ったことが数度あった」と、当時の緊迫した状況を振り返った。原発の現状については「原子炉は安定しているが、作業する面では線量も非常に高く危険な状態だ」と打ち明けた。

「ありがとう」壁に激励文


 吉田所長が詰めている免震重要棟は、「ありがとう」「がんばって」など、全国から寄せられた激励文や折鶴でいっぱいになっているという。産経新聞は12日付けの紙面で、次のように伝えた。
緊急時対策室には「日本人の心の誇り 一生忘れません」と書かれた手作りの垂れ幕が掲げられていた。栃木県の中学校から贈られたものだ。全国から寄せられた「思い」を胸に、作業員は現場に立ち続けている。
 一方で、未だに高い放射線の恐怖を伝える報道もあった。取材に参加した朝日新聞の小堀龍之記者は12日付けの紙面で、事故現場の状況について次のように書いている。
東電から提供される映像からは、もっと寒々しい場所を想像していた。壊れた建物のそばには小鳥やカラスがいた。汚染水処理施設の近くに、水たまりに卵を産むのか交尾している赤トンボもいた。史上最悪の原発事故の現場にしてはのどかな光景だったが、逆に生き物が感じ取れない放射線の不気味さも実感した。取材中は東電社員がバスの中で放射線量を測り続けた。毎時数十マイクロから数百にどんどん上がり1千マイクロシーベルトに達した。
 なお、東京新聞の加藤裕治記者が伝えたところによると、この日の取材で浴びた被曝線量は48マイクロシーベルト。20日間浴び続けると、年間の線量限度に達する計算だという。

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